影の呟き

影さんの小説を主に飾るブログです。

『零影小説合作』第三話〝不明と優しさ〟

 ※改訂版です。

 誤字や私(影星)とゼロ君による呼称の違い、あとは不自然と思われる表現を一部直しました。



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 ——お前は生まれるべきではなかった。


 頭の中で一筋の声が反響する。 


 それは無慈悲であり、人ならざる者の声でもある。


 〝それ〟は血泥にまみれ、もがき苦しむ兵士の姿をしている。


 王の姿をしている。


 姫の姿をしている。


 大臣の姿をしている。


 平民の姿をしている。


 誰もがその顔に憎しみと怨念を貼り付けていた。


『くるな! 来るなああッ!!』


 そしてそれは、見捨てたもの『全て』の形をしている——


「うああああ!!」


 狼の唸り声のような叫び声を高々と上げると、自分はベッドで横になっていた。

 呼吸を乱しながらも、状況を整理する為、思考をフル回転させる。


 純真で潔白な手などもう自分にはないのだ。そのことは理解していたはずだ。


「悪夢に魘されていては、元王の私が泣くぞ……」


 そんな冗談を口にし気持ちを紛らわす。意識してはいけない。これはただの、そう、ただの夢だ。


「どうしたんだい!? アーサー君!」


 そこに血相を変えて飛び込んできたのはクレム先生だった。


「クレム先生ではないか……ではないですか。どうしたのです?」


 構柄な態度をなんとか自分を慰めながら慎むと、クレム先生へと目線を向ける。

 心底心配したことが窺え、申し訳なくなる。彼を安心させなければ。


 だがこの体の元持ち主は笑ったことがないのか。それか悪夢の後のせいか、歪な薄笑いを浮かべるもクレム先生は引いてしまう。


「すまない。……少し外の風を涼んできます」


 小さなベッドから降りて、小屋から出て行った。


 口が裂けても言えない事情があるのか、ないのか。

 まだよく分からないアーサーを前に、クレム先生は動揺していた様子だった。


「弱いな、この身体は。あれほど精力的で精悍な身体と精神の持ち主だった筈なのに、今ではヒョロヒョロで無様な平民になってしまった」


 そう言いながら、春の夜の満月を何もないところを見つめる猫のように、無表情で岩のようにジッとして見つめる。

 涼しい風が肌を刺す。肌寒いと思ったが、どうやら汗をかいていたようだ。


 この世界は騎士と王が支配する世界。


 掃滅されたアルカニス、ザムンクレムの『四天王』。


 そして、生前の自分を殺めた人物、謎の人外の声。


 それを思い出すだけで、頭蓋を釘で打たれるような気分だ。


 まだおぼつかないこの身体も、背中に鉛を背負っているようで、重かった。


 だが、今はまだ子どもだ。


 心は前世と同じで決して弱くないが、体は弱々しく、まともに戦えやしないだろう。


 なんとか、あの師を利用して強くならねばならない。


 しかし、そんなことを易々と言っている暇はなさそうだ。


 ——唯ならぬ、強い気配を感じる。


「そこにいるのは誰だ」


 アーサーは子どもとは思えないような低い声を出す。


「あら〜? バレちゃいましたぁ〜?」


 そういって、向かいの建物の石材の階段から降りてきたのは、まだ自分と同じぐらいの歳であろう、赤髪の女だった。


 彼女から壮麗なオーラと壮烈な双眸がこちらに凄絶な圧力をかけるかのようにして襲ったが、それに決して屈しなかった。


「ふん、威厳だけはいいようだな」


 瞬時に察したこの強圧的な圧力に、流石のアーサーも冷や汗が、一筋顎を伝って流れ落ちた。


 ——動いたら負ける。


 戦う容易が端然な彼女に、剣もなく、体術ができる程の筋力や逃げる為の体力でさえ半端だ。


 そんな実力で挑むなど自殺行為に等しい。

 だが、逃げても仕掛けても殺される。

 睨み合いが続くだけだ。


 だが、結局どちらに置いても殺されるのなら、こちらから一か八かの博打を仕掛けるのもよいだろう。


「貴方、中々抽象的な考えをするわねぇ」


 口を開いて何を言い放つと思えば、まるで心を見透かしているような発言をしだした。


「何を言っている。私は何も言ってはいないぞ」


「何をやっても結局は私に殺されてるのは見え見えなんでしょ〜? 貴方は賢そうだからそんな思考をすると思ったのよ〜」


 面白くないやつだ。

 そんなことを思いながらひたすらに睨みつけ、構えを崩すことはなかった。


 心地良かった夜風でさえアーサーの神経を逆撫でし、余計に緊張を煽る。


 草木をユラユラと揺れサワサワという音が、五月蠅く聴覚を刺激していた。


 ——今だ!


 息を吸い、酸素を足腰の筋肉へ送ることで、脚は一つのバネと化す。

 天を衝くような速さの中、赤髪の少女に向けてまだ何も知らない無垢な拳を突き出す。


 だが彼女は動かない。


 否、そこにはもういなかった。


 篆刻を刻むような渾身のストレートが回避されたのを、遅れて理解する。


「はぁ〜い」


「っ!?」


 この岩と岩に挟まれた狭い空間でどうやって裏まであの距離で移動したのか。


 まるで人ではない。人より上位の存在——まさに天使か悪魔かを思わせる動きだった。


 そして赤い影はとても跳躍で生じたとは思えない音さえ置き去りにし——


「……っ!」


 気付けば、アーサーの首元には、鋭い爪が添えられていた。

 今にもアーサーの首と胴体が離れそうな状態にいることを、今度は遅れて世界が、空間が理解し、ヒュウと音を立て風が舞う。


「私の目的は飽くまで貴方の偵察。貴方が元気でやっているのか見に来ただけよ」


「は? 私たちは、何処かで会ったことがあると言うのか?」


 その言葉を聞いた彼女は、頭上に点線を浮かべた後、鬼神を思わせるような殺気立つ顔をしてこちらを睨んだ。


「忘れたの!? 私よ! わ! た!  し! 本当に憶えてないの!?」


「知らない」


 本当に知らない素振りを見せるアーサーを見て顔を俯かせ、呆れる彼女は言った。


「ふん。いいわ、もう一度名乗ってあげる。そうじゃないと私の気が済まないわ」


 そんな自意識が強い赤髪の少女は、満月の光を掲げながら壮麗な表情で名乗った。


「私の名前はアスタロト。よく覚えておきなさい」


 そう言い残し、瞬きをした次の瞬間には彼女の姿は消えていた。


 アスタロト、大昔の伝承から伝わる魔術や悪魔学の文献では一番優れていると言われる悪魔の名前だ。

 大書物ゴエティアにおいては四十の軍団を率いる大公爵とされ、冥界皇帝ルシファー、君主ベルゼビュートに並ぶ冥界の支配者の一人として語られることで有名な悪魔だ。


 だがそれは空想のものであり、実際にはこの世界に存在しない。


 しかし、今の光景を見る限り信じるしかなかった。


「一体……この世界で何が起きているというのだ……」


 そんなアーサーを薄ら笑うかのように、また一筋の風が流れる。





「アーサー!」


 クレム先生がアーサーの名を呼ぶ。大凡、赤髪の少女……アスタロトとの交戦で生じた音で慌てて出てきたのだろう。

 だがその顔にはすっかり疲労が窺えた。


 アーサーは迷惑を掛けると心の内で謝罪してクレム先生の方へ向かう。


「もう君という奴は。少し目を離しただけで何をしでかすのだか。これ以上僕を困らせないでくれ」


「すまなかった……いや、すみませんでした」


「うむ。君まだ飯を食っていないだろう。取り敢えず中に入ってくれ」


 そういえばこの身体になってからまだ何も食べていないというのを思い出し、一気に空腹感が溢れ出る。


 アーサーとクレム先生はランプに照らされた小屋の中に入る。入ってすぐに焼けた肉の香ばしい匂いが彼らの鼻をくすぐった。


「さあ、君が外に居る間に料理を作っておいたんだ。その椅子にかけなさい」


 なんだろう。このクレムの対応に母性的な何かを感じるのは何なんだろうか。アーサーはそんなどうでもいいような疑問を抱きながら木材の椅子に腰をかけ、テーブルの上の料理を見る。


「兎の肉を焼いたものだ。肉を食って体力を付けないとな。さっきみたいにぶっ倒れてしまう」


 兎肉。生前の食生活を考えるとまさに雲泥の差だ。

 王様時代に食べた牛肉のステーキを思い出し、倍にまで空腹感を膨らませながら木材で出来たフォークでこんがり焼けた兎肉にありつこうとしたところ、


「これ。食事の前後にする祈りを忘れるな」


 とクレム先生に手を叩かれる。

 叩かれた手を擦りながら考える。

 そういえばレトアニア王国は宗教色が濃い国なのだった。

 宗教なんかもっぱら興味はないが、うちの先生は色々厳しい。というか小煩い。

 ここは黙って祈るふりでもすれば良いか。


「——我らが唯一神、レトアニア神の名にかけて。アーメン……」


「あ、アーメン」


 さて。食事前の祈りを終えたところで、と今度こそ兎肉にありつく。

 フォークで刺し、口へ運ぶ。生前に食べた絶品と比べるのも酷かもしれないが、そこまで美味しくなかった。




 食事後の祈りを済ませ、食後の余韻に浸っていたアーサーにクレム先生が話し掛ける。


「そういえば昼、お前は騎士になりたいと言っていたが。平民が騎士になるのは難しいと知ってのことかい?」


 これに関しては生前統べていたザムンクレムでも同様のことだったことだ。騎士とは本来貴族達がなるものである。青い血を持たない一平民が騎士になろうとするのは茨の道を裸足で歩くようなものだ。


「ああ。分かってる。いや、分かってます。その為に騎士の中の騎士という雰囲気を纏う、クレム先生に師事を申し出たんじゃないんですか」


 これは半分嘘だ。そこそこ出来る騎士だとは思ったが。


「おお? そうかーハッハ〜。よく分かったね? 君、なかなか見る目あるよハッハッハ」


 クレム先生はアーサーに褒められ鼻を高々と言った感じだった。

 アーサーはこのクレム先生との関係は大事にしていきたいと考える。


 今はよく分からないが、このクレムという男はどこかただならない雰囲気を持っている。

 何故こんな小さい村に、と疑問を抱かないでもないが、アーサーの生前頼りになったの勘がそう言っているのだ。


「では、もう今日は寝なさい。これから早寝早起きがここのルールだ」


 クレム先生にそう言われ、アーサーは先程まで寝ていたというベッドで横になる。

 気分の悪い寝起きで気付かなかったが、このベッドは微妙に硬い。背中が痛くなる、という程ではないがやはり生前と比べると硬いと思わざる得ない。


 いかんな。

 今は若き国王では無く平民の子どもだ。倒れる寸前に聞いた内容で推測するに、自分は孤児だ。

 国王と平民。身分的に天と地の差だ。なんでも生前と比べるのは止そう。

 なに、平民という生活に慣れれば良いのだ。


 アーサーはそう自分に言い聞かせ、目を閉じる。

 心身共に疲れが溜まっていたのか、少年の幼い身体はベッドに沈んでいった。





「色々おかしい少年だった」


 この日出会った金髪の少年を思い浮かべる。

 クレムはアーサーが眠ったところを確認し、爛々と光りを放つ満月の下で夜の涼しい風を身体で感じていた。


 突然国の状勢やら己はなんなのかを聞き出したアーサーの表情を思い出す。

 アレは本当の混乱している者がする表情だ。


 国の状勢はともかく、己のことについて聞き出してきたのは不自然だ。

 あんな顔をしていたのだ。本当に自分が何なのか分からなかったのだろう。


 記憶喪失という言葉が脳裏に浮かぶ。


「可哀想に」


 取り敢えず、明日にでも村の少年達にアーサーのことについて聞き出そう。彼が一人前になるまでは、僕が親代わりになるのだ。

 クリムは一人、そう決心する。



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 次回、第四話〝進撃と鍛錬〟